人は誰しも、「生きたい」「よくありたい」という思いを胸の奥に抱いて生きている。
森田療法でいうところの「生の欲望」とは、まさにそのことだ。
これは特別な思想でも、現代に生まれた新しい概念でもない。
昔の人も、今を生きる私たちも、その根っこは変わっていない。
ただ一つ違うのは、その表れ方である。
現代社会では、生の欲望はとても分かりやすい姿で前に出てくる。
たとえば「健康でありたい」という願い。
フィットネス、サプリメント、健康診断、人間ドック。
病気になりたくない、老いたくない、できれば長生きしたい。
その気持ちはとても自然だが、いつの間にか健康そのものに神経をすり減らしてしまう人も少なくない。
あるいは、「認められたい」という欲望。
SNSの画面には、他人の充実した日常や成功が絶えず流れてくる。
「いいね」の数、フォロワーの増減に、心が静かに揺れる。
本当は誰かに少し分かってほしいだけなのに、評価を求める気持ちは際限なく膨らんでいく。
「安心して生きたい」という思いも、現代的な生の欲望の一つだろう。
将来への不安は、保険や保証、さまざまな備えを求めさせる。
けれど、不確実性を完全に消そうとすればするほど、不安はむしろ増えていく。
さらに、効率や成功への欲望もある。
成長したい、遅れたくない、もっと良くなりたい。
資格取得や自己啓発に励みながら、「これで十分だろうか」と立ち止まれなくなる。
そして、人とのつながり。
孤独は避けたい、仲間でいたい、嫌われたくない。
人を求める心と、人を恐れる心が、同時に存在している。
こうして見ると、現代人はとても忙しい。
情報社会は、他人と自分を簡単に比べさせる。
そのたびに、「もっと良くあらねばならない」という生の欲望が刺激され、
不安や焦りが後を追いかけてくる。
森田療法は、ここで立ち止まって問い直す。
これらの欲望は、悪いものだろうか。
答えは、はっきりしている。どれも人間らしい、自然な欲望である。
問題は、欲望そのものではない。
「不安を消そうとすること」
「欠けを完全に埋めようとすること」
そこにとらわれ、生活そのものが見えなくなることなのだ。
不安があってもいい。
満たされない感じがあってもいい。
そのまま、今日の仕事をし、誰かと話し、ご飯を食べ、眠る。
生の欲望を、頭の中でこね回すのではなく、日々の行動として生かしていく。
それが、森田療法の静かな提案である。
つまり、現代人の「生の欲望」とは、
健康でありたい、成功したい、安心したい、認められたい、つながりたい、
そうした願いの集合体だ。
意識しすぎれば、確かに苦しみになる。
けれど本質的には、それは生きようとする力そのものなのだ。
森田療法は、その力を消さず、否定せず、
ただ生活の中で、そっと使っていく道を示している。
――生の欲望は、扱い方しだいで、重荷にも、支えにもなる。
その違いを見分けることが、現代を生きる私たちの小さな知恵なのかもしれない。

















