はじめて集談会に来られるあなたへ
――生の欲望とともに生きるということ
27日の集談会が近づいています。
もしあなたがこの案内を読みながら、少し迷ったり、緊張したりしているとしたら、それはとても自然なことです。知らない場所へ行くとき、人は誰でも不安になります。その不安は、弱さのしるしではありません。むしろ「ちゃんと生きたい」という気持ちがあるからこそ、生まれてくるものです。
森田療法では、その気持ちを「生の欲望」と呼びます。
生きたい、健康でいたい、役に立ちたい、認められたい、誰かとつながっていたい――そうした願いは、人が人として生きている限り、誰の中にも静かに息づいています。そして、その願いが大切であればあるほど、不安や恐れもまた、そっと寄り添うように現れてきます。
この集談会は、不安をなくす場所ではありません。
また、元気な人だけが集まる場所でもありません。不安や緊張、迷いを抱えたままでも、そのままのあなたで来ていい場所です。言葉にできない思いがあってもかまいません。うまく話せなくても、無理に話す必要はありません。
現代の暮らしのなかで、私たちは知らず知らずのうちに、「ちゃんとしなければ」「安心していなければ」と自分を追い立ててしまいます。健康のこと、人間関係のこと、将来のこと――考えれば考えるほど、不安は大きくなっていくものです。
でも森田療法は、不安と闘うことを勧めません。不安があっても、今日の生活を一つ動かしていく。その積み重ねのなかで、人は自然に回復していくと考えます。
集談会では、特別な答えを出す必要はありません。
ここに集まる人たちも、皆それぞれの生活のなかで、迷いながら、つまずきながら歩いています。完璧な人はいません。ただ、「一人ではない」という感覚を、同じ場で静かに分かち合っているだけです。
もし当日、緊張したまま会場に足を踏み入れても大丈夫です。
その緊張もまた、あなたの生の欲望のあらわれです。「生きたい」「大切にしたい」という気持ちが、あなたをここへ運んできたのです。
私たちは、安心になるために集まるのではありません。
不安を抱えたままでも、生きていけることを確かめるために集まります。
そして森田療法は、その歩みを急かすことなく、足元をそっと照らしてくれる考え方です。
27日、もしよろしければ、今のあなたのままでお越しください。
その一歩そのものが、すでにあなたの「生きようとする力」の自然なあらわれなのです。

















