「態度価値」を軸にした、森田療法的「頭の良さ」の考察

「知識がある=頭がいい」という観念は、ある意味では記憶力や情報処理能力への信仰である。しかし、現代社会はその段階を超えた。情報はAIや検索エンジンが持っている。もはや知識を「溜め込む」ことそのものには、大きな価値はない。重要なのは、それを「どう使うか」、そして「それによって自分はどう生きるか」である。

ここで森田療法の登場である。

森田療法は、「あるがまま」を受け入れ、「行動本位」で生きることを説く実践的な生の哲学である。その中心にあるのは、「感情に左右されず、目的に従って行動する」態度であり、これこそが現代的意味での「態度価値(Wert der Einstellung)」を体現する生き方といえる。

態度価値とは何か

ヴィクトール・フランクルが説いた「態度価値」は、「状況をどう受け止め、どう応答するか」という、人間の根源的な自由に関わるものである。たとえば、与えられた条件が不利でも、その中で「どう生きるか」「どう立ち向かうか」を自ら決定できる。これは単なる知識やIQとはまったく異なる、人格的で、倫理的で、行動的な「頭の良さ」である。

森田療法もまた、「症状」や「不安」などの内的な条件に抗うのではなく、それを引き受けながらも、自らの「目的」に従って行動することを重視する。つまり、外部条件がどうであれ、自分の生き方に責任を持つという姿勢が求められる。

このような態度こそ、現代社会で本当に必要とされる「地頭の良さ」ではないか。

森田療法的に見る「真に頭のよい人間」とは

森田療法的な知性とは、以下のような要素に支えられている。

  1. 現実直視(事実唯真)
    「自分は不安である」「焦っている」「気が進まない」――そうした内面の現実から目をそらさず、あるがままに認める。
  2. 行動本位
    感情がどうであれ、なすべき行動を選び、実行する。つまり、「嫌でもやる」「不安でもやる」。
  3. 目的意識の明確化
    どんな行動も、その背後に「何のためにそれをするのか」という目的(意志)が必要である。これがない行動は、単なる衝動や習慣にすぎない。

この三つの原則を実践する人間は、知識に頼らずとも「賢く」生きていける。逆に、知識があっても、行動に移せなければ意味はない。ましてや、恐怖や不安によって逃避や回避を繰り返していては、自分の価値も築けない。

態度価値をもとに行動することが「頭の良さ」になる

たとえば、戦争の歴史を知っていても、それを単なる豆知識として語るだけでは浅い。しかし、それを自分の人生や人間観に照らして考え、「だから今、私はどう生きるか」と問いを立てられる人間は、頭が良い。森田療法的にいえば、「過去の知識を、今の行動の支えとして活かしている」のである。

しかも、態度価値は年齢や立場、学歴とは関係ない。むしろ、失敗や不安、病気といった「負の条件」をどう引き受けるかという点で、むしろ人生経験が豊かな人ほど、その「頭の良さ」を発揮しやすいともいえる。

真の頭の良さとは、「与えられた状況に対して、どのような態度を選び、どのように行動するか」という、生き方の選択力である。
そしてそれは、まさに森田療法の価値観――「あるがままを引き受け、目的本位で行動する」態度そのものである。

今後求められるのは、知識量ではなく、「どう生きるか」における知性である。その知性は、知識を土台としつつも、それに溺れず、自らの意志と目的に従って「態度価値」を選びとる力によって形づくられていく。

それが、森田療法的にも、そして未来社会的にも、「真に頭の良い人間」なのである。

お待たせいたしました。今月の大田集談会のお知らせです。

日時:7月13日

時間:13時30分開始予定(13時開場)

場所:消費者生活センター2階 第2集会室

【今月の内容】
●渋谷平日夜間集談会 支部委員(女性)による派遣講話があります。
●読書会ー学習会シリーズ・神経症の成り立ち
学習会シリーズの文章はメールに添付いたしました。今後もその予定です。
暑い日が続きますので、水を飲んだり涼しくして体調を整えてくださいね。
今月もお会いできたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
(大田集談会代表幹事)