全集第5巻読書会と体験交流を毎月開催中

「森田先生の人間観とは?」
「森田療法・理論の世界観とは?」
全集5巻を通して、森田先生の時代に立ち返り、日々の生活と森田療法の学びが交差するような、温かな時間になればと思っています。

大切にしたいのは、ただ「知る」ことだけではなく、自分のこころの事実にふれてみること、そして、それを言葉にしてみること
読書の中で心に残った一節、自分の生活でふと気づいたこと、今まさに感じていること――それぞれが率直に語り、じっくりと耳を傾ける時間といたします。

  • メンバーとの共通する感情に「ああ、そうなんだな」と気づくこと
    ●浮かんできた想いを、そのまま言葉にしてみること
    ● 生活の中の小さな出来事を、具体的に分かち合ってみること
    ● そして、何よりも「共感」と「受容」を大切に、お互いの声を受け止め合うこと

こうしたプロセスを通じて、森田療法が目指している“あるがまま”の姿勢や、“生きる力”の源に、あらためて触れたいと思います。

大事なのは集うことの豊かさです。
読むこと、語ること、聞くこと――そのどれもが、人と人とのあいだに静かな灯をともしてくれるのだと実感しています。

毎回、日々の生活と森田療法の学びが交差するような、温かな時間をつくっていければと思っています。

第4回形外会ー昭和5年4月20日(午後3時開会、参加者35名、夜8時散会)

森田正馬の箴言 

一、事実、これ唯真
人は時に、己の願望を真理と取り違える
しかし、真実は常に眼前の現実の中にある。
思いではなく、出来事の中に答えはある。

二、自覚とは、己を欺かぬことである
虚飾を脱ぎ捨て、苦しみも弱さも、そのままに見つめる。
そこにこそ、本当の勇気が宿る。

三、人生の目的は何か
それは“生きる”ということそのものにある。
知ろうとするな。行え。ただ目の前の務めを全うせよ。

四、人は欲望の生きものなり
欲望を否定せず、それを動力とし、生活を築け。
欲望に苦しむのではない。欲望に生かされるのだ。

五、生きるには覚悟が要る
迷いも恐れもあるがままに、前へ踏み出す決意。
心機一転とは、環境が変わることではない。己の腹が決まることである

 

 

生きることの覚悟

――森田正馬の言葉から

人は、たまにふと、
「人生の目的って、何だろう」と口にする。
酔った夜だったり、誰かの葬式の帰りだったり、
あるいは恋が終わった日曜の午後だったりする。

そんな時に限って、人間は哲学ぶる。
だけど、森田正馬はあっさりと、こう言うんだ。

「人生の目的なんて、考えるもんじゃない。ただ、生きることだよ」って。

冷たいようでいて、あたたかい言葉だと思う。
だって、僕らが今朝、目を覚まして、顔を洗って、
腹が減って、仕事に出かけて、誰かに腹を立てたり笑ったりして――
そうやって今日も生きてる。それで充分だってことだから。

でも、それがなかなかできない。
人間は弱くて、つい嘘をつく。
他人にじゃなくて、自分に。

「こんな自分じゃダメだ」「本当はもっとできるはずだ」
そんな風にして、理想を振りかざして、自分をいじめ抜く。
あるいは逆に、無理やり平気なふりをして、
傷の上に笑顔のガーゼを貼ってやり過ごす。

森田先生は、そんな人間の性(さが)を見抜いていた。
「自覚とは、己を欺かず、正しく素直に認めることだ」と。

つらければ「つらい」でいい。
恐ければ「恐い」でいい。
そう認めたところからしか、人は歩き出せない。

そして、先生はもう一つの真実を突きつける。
「人間は欲望のために生きている」と。
もっと楽になりたい。誰かに認められたい。
おいしいものを食べたい。好きな人と一緒にいたい――
そんな想いを否定せずに、丸ごと抱えて進めばいい。

ただし、そこには“覚悟”がいる。

目的に向かうときには、
あれこれ思い悩むより、ひとつ腹をくくることだ。
心機一転とは、急に性格が変わることじゃない。
気持ちの持ちようが変わることでもない。
「このままで行く」と決めて、黙って歩き出すことだ。

目に見える結果なんて、あとからついてくる。

結局、生きるってのは、
欲望と矛盾を抱えたまま、それでも前に出ることなんだと思う。

誰も褒めてくれなくてもいい。
誰にもわかってもらえなくてもいい。

生きてる自分が、自分で自分を「よし」と言えたら、
それで十分なんじゃないか――そんなふうに思う日がある。

森田正馬の言葉は、風のように静かで、
それでいて、どうしようもなく本気だ。

それが、きっと「事実、これ唯真」ってことなんだろう。

自覚して、生きよ

――森田正馬先生の教えによせて

迷いなき人など、おりません。
恐れのない人など、おりません。
わたしも、あなたも、
日々、こころがゆれています。

けれど、
森田先生は言われました。

「恐れるな」ではない。
「恐れながら進め」と。

「不安になるな」ではない。
「不安と共に歩め」と。

そのままの自分でいいのだと、
そのままのいのちで進めばいいのだと、
やさしく、厳しく、
真実を語ってくれました。

人は、よく問います。
「人生の目的は何でしょうか」と。

けれど、いのちは答えません。
ただ黙って、今日も
呼吸をし、鼓動を打ち、
朝が来れば、目を覚まします。

それだけで、もう充分に
尊いではありませんか。

人生の目的は、
“いのちを生ききること”。

それ以上でも
それ以下でもありません。

わたしたちは、
欲望のなかに生きています。

それを恥じることはありません。
それを捨てることもできません。

求め、悩み、傷つき、
それでもなお、生きたいと願う。

森田先生は、
そんなわたしたちの底にある力を
“生きる欲望”と呼びました。

そして、それを
“病む者の中の健康”と呼びました。

そう、わたしの中にも、
あなたの中にも、
すでに光があるのです。

では、どうすればよいのか。

答えはひとつ。
腹をきめること。

「このいのちを、生ききる」
そう決めて、今日の一歩を踏み出すこと。

覚悟とは、
強くなることではありません。
賢くなることでもありません。

ただ、あるがままの自分を
否定せずに引き受け、
黙って歩くことです。

一歩一歩――
それが、ほんとうの信条であり、
ほんとうの生きる力なのです。

わたしも、迷いながら歩いています。
あなたも、迷いながらでいいのです。

だから、
どうか今日も、
自分をごまかさず、
真実のままに、生きてください。

森田先生の言う「事実唯真」とは、
わたしたちのいのちが
いのちとしてあることそのものを
敬い、信じることなのです。