東洋的心理療法と森田療法──心の波に身をまかせるということ

忙しい日々の中で、ふと「心って、一体どこにあるんだろう?」と思うことがあります。たとえば、何もないのに不安が押し寄せてくる夜や、何をしても満たされない午後。そんなとき、私たちは心の輪郭を探そうとし、答えの出ない問いに迷い込みます。

最近、私はその問いに対するヒントを「東洋的心理療法」に見つけました。禅や瞑想、気功といった技法に共通しているのは、「心を変えよう」とするのではなく、「心のありようをそのままにしておく」姿勢です。これは、まさに森田療法の核となる考え方と響き合います。

森田療法では、「あるがまま」を受け入れることが基本です。不安や症状を取り除こうとするのではなく、それらを抱えたまま日常生活を送る。つまり、「心の波」をコントロールしようとせず、ただそれに身をまかせて生きる。これは、呼吸を整え、今に意識を向ける禅の実践や、身体の気の流れに意識を向ける気功の考え方にも通じています。

瞑想や気功では、「今・ここ」に心を置き、思考や感情が去来するままにしておくという姿勢が大切にされます。それは、森田療法における生き方、すなわち「症状があっても、やるべきことをやる」という「目的本位」な日常実践とつながっているように思うのです。

現代人の多くは、「心の不調=取り除くべきもの」ととらえがちです。しかし、東洋的なアプローチでは、不調もまた人生の一部であり、それを無理に消そうとせず、そのまま受け入れることにこそ回復の道があると示してくれます。

森田療法は、そんな東洋的な心のあり方を、精神療法として体系化したものと私は考えます。言葉少なに、しかし確かな手触りで、「あなたは今のままで生きていける」と教えてくれるその姿勢は、まさに東洋的心理療法の静けさと重なります。

結局のところ、心の平穏とは「不安がなくなること」ではなく、「不安と共に歩いていける自分を知ること」なのかもしれません。森田療法も東洋的心理療法も、その静かな知恵を私たちに教えてくれるのです。

心はどこにあるのか――東洋的心理療法について思うこと

私はは昔から、「自分の心」というものが、いったいどこにあるのかよく分からなかった。心臓のように、はっきりした場所にあるわけじゃないし、手で触れることもできない。けれど、確かに存在していて、気づくといつも、どこか遠くに漂っているような感覚だけが残る。忙しい日々に押し流されていると、そんな心の存在さえ忘れてしまいそうになる。でもある日ふとした拍子に、不安が首をもたげ、思考がぐるぐると止まらなくなる。まるで、静かに眠っていた何かが目を覚ましたかのように。

そういう不安定さの中で、東洋的な心理療法というものに興味を持つようになった。もちろん、心のケアにはさまざまな方法があるし、西洋的なアプローチも洗練されていて役に立つ。けれど、東洋の考え方には、もっと静かで、もっと深く、人の内側に根ざしているような印象がある。焦らず、何かを急いで変えようとしない、その佇まいに、私はなぜか惹かれた

たとえば、禅。禅というのは、ただ座って呼吸を整えるだけのものじゃない。むしろ、「考えようとしないこと」を意識的に選ぶ行為だ。答えを出そうとしないこと。言葉にしようとしないこと。私たちは日常の中で、いつも何かを説明しようとし、意味を見出そうとする。でも禅は、そういう努力そのものを、すっと手放すように促してくる。静かな空間の中に身を置くと、いつの間にか、心の中で渦巻いていたものがゆっくりと沈んでいく。

それから気功や太極拳(メンバーがインストラクターでうれしい)、これはもっと説明が難しい。言葉で語るほどに、その本質から遠ざかってしまう気がする。けれど一度、自分でやってみたことがある。呼吸を整え、リズムに任せて体を動かす。ただそれだけのことが、驚くほど心の奥深くに作用する。「気」というものが確かに体の内側を流れていき、不安や重さを少しずつ洗い流してくれるような感覚があった。

思うに、東洋的なアプローチというのは、「得る」ことよりも、「捨てる」ことに価値を置いている気がする。そして、自分の中にあるものを「変える」のではなく、「受け入れる」ことを大事にしている。西洋の心理療法が、原因を見つけて、解決しようとするのに対して、東洋の療法は「答えがない状態」をそのまま抱えて生きることを肯定してくれる。それがとても優しい。

禅も気功も太極拳も、私にとっては「嵐の後の静けさ」みたいなものだった。心がどこかに漂っていた日々の中で、ふと、自分の中に静かな場所があることに気づく。変えようとしなくてもいい。ただ、そこにいるだけでいい。そう教えてくれる。

結局のところ、心というのは、どこかにあるものではなく、「今この瞬間に気づくこと」なのかもしれない。そしてその気づきは、静かに、淡々と、私の中に変化をもたらしてくれる。それが、東洋的心理療法が私に教えてくれたことだった。