心が揺れたとき、

頼れるものはありますか?

人生には、
不意に訪れる「波」がある。

進学。
退職。
老い。
そして、孤独。

若いときとは違う形で、
心はまた、揺れる。

でも、
揺れるのは「弱さ」ではない。
それは、生きているからこそ。


私は今、放送大学で学び直している。

歳を重ねても、
学びたいことがある。
心を整えたいと思うことがある。

でも正直に言えば――
年齢を重ねるほど、
「話せる場」は減っていく。

家族にすら、
言えないことがある。


そんな中で出会ったのが、
森田療法の自助グループだった。

NPO法人生活の発見会であり大田集談会だった。

誰もが“患者”ではなく、
“生活者”として集まっている。

先生もいない。
説教もない。
あるのは、
「今、どう生きているか」という会話だけ。


森田療法は言う。
「不安があっても、いい」
「そのまま行動すれば、いい」

無理に元気にならなくても、
笑顔をつくる必要もない。

そのままで、
今を生きること。

それが、
一番、力のある姿だと
私はこの歳になって知った。


このグループには、
若い人もいれば、
私のような年配の人もいる。

でも、年齢なんて関係ない。
心の中では、誰もが同じように、
迷いながら、生きている。


われわれの森田療法の自助グループは、
知識を詰め込む場所ではない。
心に耳を澄ませる場所だ。

講義では学べない、
「生きる知恵」がある。
人との関わりの中で、
言葉の重みと、沈黙の意味を知る。


もしあなたが今、
揺れているなら。
年齢に関係なく、
立ち止まってしまっているなら。

ここに、
ひとつの「灯台」がある。

暗くても、
波が高くても、
そっと、道を照らしてくれる。


「心が揺れても、大丈夫。
 あるがままで、今を生きる。」

 

そして、明日。

また、あの集まりがある。

何を話すかは、まだ決めていない。
話さなくてもいいのかもしれない。
でも、誰かの言葉に、
きっと心が動くだろう。

何かを得るというより、
「そこにいること」自体が、
もうすでに、自分を整えてくれる。


私にとって、あの場所は――
何かを“教えてくれる場”ではなく、
“思い出させてくれる場”だ。

生きていることの、手ざわり。
不器用でも、人と関わることの意味。
心がほどける、あの空気。


年齢を重ねると、
「これまで」ばかりを語りがちになる。

でも明日は、
「今の自分」で、
「これからの自分」を語ってみたい。

できるだけ、飾らずに。
できるだけ、あるがままに。


きっとまた、
明日も誰かの一言が、
私の心の灯りになる。

だから、行く。

静かに、
確かに、
明日もまた、
心の学び舎へ。