修養って道徳的に、精神的に成長することを指すという。別名で自己修養。
その自己の内面をのぞくと精神的成長や倫理的原則に基づいた行動が不足なことはすぐ理解できた。
症状があって、その不安をなんとか払拭することが修養だと思っていたが、その結果は、精神交互作用の悪循環と自縄自縛で身動きが取れない結果であった。
このことを修養主義というと教わった。
便所の汚れたのを見かねて、これを清潔にするのは修養であるが、修養のために便所掃除をするのは邪道であって、実にこの出発点から千里の差を生ずる。
ただ事実のあるがままを認め、自然に服従し境遇に従順であって、自分で努力をかさね
自己修養を続けることが大切であるという。このことは肝に銘じている。
(第3回形外会 昭和5年2月16日 31-32頁赤字引用)