「何かにつけて常にはからっている」という心の事実は精神の自然現象である。

 

細かいことに気を配り、丁寧な態度を心がけている時のプラス面のはからい、反対に過度なはかりすぎが原因でストレスや疲労につながるマイナス面があることは、ともに心の事実であり、誰にでもあるといえる。

 

われわれ神経質人間は、概ね完璧主義者であり、自己否定やストレスを引き起こすはからいから悪戦苦闘する傾向がある。

 

バランスを保ちながら計り過ぎないように気を付けることが大切ではあるが、はからいの渦中にある時は抜け出すことは容易ではない。

 

森田の解釈は、はからう心そのままである時は、はからわぬ心であるというもの。禅問答のようであるが正解にちがいない。

 

ところで、はからいの苦悩を口にすることは難しい。親子であっても、兄弟であっても、悲しいことに夫婦であっても、そのことは言える。

だから、はからいを口外できる場所があればと思う。

 

集談会は、まさにそのために用意された癒しの場所といえる。

私たちは、ここをとても大切にしている。大切だからこそ注意深く、参加者各自が気を付けて、運営していかなければならないと肝に銘じている。

(第2回形外会 昭和5年1月19日 26頁赤字引用)