561ページ上段より (やなぎさわ)

自分は病身である。劣等で意志薄弱である」とか、どのように思ってもよい。心の内には、苦しみながら・びくびくしながら・いやいやながら・どうかこうか・人並みの仕事をやっていさえすればよい。極めて簡単である。

人事異動があったので大変ですが、わからないことは聞いてノートに書き、ドキドキハラハラしながら作業すると少しずつ慣れます。失敗することはありますが、慎重にすればいい結果がでます。不安でも準備をすれば上達します。森田理論の勉強をして、集談会に出れば色々アドバイスしてもらえます。必ず生き甲斐の有る人生を送れます。

 

559ページ上段より (揚げ玉どんぶり)

森田先生
『良いも悪いもその時々に「なりきる」という絶対の感じである。自己本来の面目である。「溺れる者は藁をも掴む」とか、「皿を割って、思わず取り上げて、これをつぎ合わせてみる」とかいう「純なる心」そのままでるあって、藁をつかんだ方が得策だとか、皿をつぎ合わすのは、馬鹿げているとか、そんな理屈の入る余地はないのである。正岡子規が、七年間、寝たきりで動くことができず、痛い時は泣きわめきながら、しかも俳句や随筆ができたとかいうのは、これが「日々是好日」ではなかろうかと思うのであります。』

私は大学中退してから父と二人で仕事をしているので、恋人どころか同年代の友人もいなく、一人ぼっちで悲観的になることが多々あります。

ただ、仕事はしなければ会社が回らず一家がご飯を食べれなくなってしまいますし、家に帰れば服の洗濯やご飯の用意、掃除やゴミ出しなどやることだらけです。これから後には両親の介護や会社をどうするかなどの問題もあります。

そこで悲観的に過度になったり、厭世的に考えたり自己卑下などである種の現実逃避をしていたのですが、寂しいまま・不安なまま下手に求手せず目の前のなすべきことを一つ一つやっていくこともそれはそれで、日々是好日・絶対的な生活なのかなと思いました。