「揚げ玉どんぶり」さんの投稿 2018.04.19投稿
全般性不安障害の揚げ玉丼ぶりです。
先日の話ですが、症状への執着から一時的かもしれませんがスパッと離脱できたというような感じを得ましたので、書かせていただきます。
私は小さい頃から真面目で頑固でありながら臆病でした。
そんな性格の中、世の中は心霊がブームだったり、オカルトの話やノストラダムスや2000年問題など蔓延していて本当に恐ろしくていつも死の恐怖に怯えていました。
その上、小学校受験と中学校受験、それから続くからかいやいじめなどが同時に並行して、ずっとストレスフルな状況でした。過食も進み、体重は90キロくらいになり根暗・陰湿な人間にもなりました。
森田療法では、そのような準備状況に負の感動的事実が起こることにより神経症が出来てしまうと聞いたことがありますが、私の場合はそれが東北の震災・・・ではなく、震災後のコマーシャルの自粛や連続した報道で、自分の実際の生活よりも恐怖を恐怖に思うことにとらわれてしまいました。
森田先生も「震災の心苦しさも半年も経てば云々」と何かの本で書いていました通りストレス状況が発生しても実際的な生活行動を保てばおそらく恐怖心も流れていったのでしょう。
ただ私の場合はそこがずれてしまい、精神修養や知識によるやりくりよってこの恐怖心や死の恐怖を乗り越えようと、大いなるはからいへの道へと入ってしまいました。
ただ、ある日、岩井寛先生の『森田療法』という本の精神交互作用を打破するの箇所を見直していたら、普通にしていたら流れていくちょっとした違和感や恐怖感を、先回りしておもんばかり、神経症の症状になるといった内容がありました。
そこでやっと、「もしかしたら俺がやってる精神修養がはからいなのでは?」と思いました(むろん精神修養を否定するものではありません)。
そこから自分の気持ちを考えつつ、実際の社会生活や仕事などを一生懸命こなしていく内に、「あれ、俺ってもしかしてただでさえ緊張し過ぎてるところに精神修養してさらに緊張して恐怖感で自分を安定させながら恐怖感を取り除こうとしてるのでは?」とふと気づきました。
そうすると、気の抜けた感じと言うか、あっけらかんというか、憑き物がとれたような気分になりました。
精神修養とかくあるべしで精神交互作用を起こして、恐怖感や不安感で自分を自分で作り続けていたのではないかなと思うと、いやはや骨折り損のくたびれ儲けであったなと思います。