『生活の発見』 2017.07ダイジェスト
研修機関紙 生活の発見誌 7月号より
* 巻頭言 「森田先生と発見会、家族に感謝」 M氏
”集談会のように神経質同士が顔を合わせて学習し意見や助言を述べ合うことは、単純に人が合う以上の深い共感が得られます。”
26年前に入会されて、無事に古希を迎えられたベテラン会員の貴重なお言葉です。
* 特集 「ヘルパーズ・プリンシプル(助力者原理)」について考える」
〜援助をする人が最も援助を受ける〜
世話人になることで回復が早まります。自助グループ活動の基本となる考え方です。本誌から離れますが『初心者のみなさんへ』に描かれている内容と重なりますので、再掲載いたします。
世話役をやってみましょう。
集談会へ何回か続けて出席したら、世話役になることをお勧めします。
世話役になると集談会へ早く溶け込むことができます。
集談会の中でなにかの役割をすることは、自分の苦しみにのみ向いていた目を外へ向けることにもなります。
また集談会へ出席する動機づけにもなります。
多くの場合、集談会になれたころ先輩会員から世話役への就任依頼があります。
世話役はすぐに、あるいは必ずやらなければいけないものではありません。
やりたい、やった方が良いと感じた時に世話役になって下さい。
『症状が治ったから人生観が変わったのではなく、人生観が変わったから症状が治った』ということが言われます。
私達の症状は病気ではなく、考え方、生き方、人生観に問題があって起こってきたものですから、それらを変えることで症状が治ります。
そして、考え方、生き方、人生観が変われば症状が治るだけでなく、生き生きとした豊かな人生を送れるようになります。
森田理論の本当の目的は、この生き生きした豊かな人生を送れるようになることです。
* 名文発掘プロジェクト 「神経質症が治るとはどういうことか」 真保 弘
真保先生の症状は対人恐怖と胃腸神経症でした。人前であがってしまいオドオドして話せなくなる症状は、実は普通に誰にでもあることですから、治そうと努力することは間違っていますし、無駄な努力を重ねることになります。
真保先生のお話の流れでは、
- 森田療法では、神経質の人を病人として扱わない
- 健康的な生活を送れば必ず治る
- いろいろな症状を持ったまま生活することが、“あるがまま”の生活態度
- 実はそれしか方法はないのであって、これが“自然に服従する”ことになる
- 神経質の症状の不安の背景には、よりよく生きたいという強い欲望がある
- 本来の欲望を自覚して、悩みを持ちながら日常生活を堅持していくこと
- 神経症が治るということは、生活態度の変化がおこってくること
引用された倉田百三の体験談に“忍受と忍従の生活”の意味を強く感じました。
* わたしの森田人間学(39)「安心の人生」を送るために(2) K.Y氏
* from doctors 「ひきこもり」にみる対人・関係性(その2)
対人関係問題としての「ひきこもり」 小野和哉
* 体験記 「漸進(ぜんしん)-立ち止まらず少しずつ進むこと-」 NINER
* 集談会日記《66》 大阪土曜夜間集談会
* こんにちは、協力医です
「あるがまま」に「とらわれず」回復の道を 舘野 歩
* from members 「感じに従う~ある日の発表で見えてきたこと~」 Yasuda
* 森田エピソード物語(5) N.O氏
* 今まで、そしてこれから。「時は流れて」 E.A氏
* 支部委員・学習委員・先輩会員による学習会シリーズ V 「行動の原則」
同じ編集企画会議のメンバーです。それに同じ東北出身。馬が合います、水が合います。体験記の終わりに、斎藤光人先生のお言葉を紹介しています。
「起こってくる感情は起こるにまかせ、ともかく現実的な成果だけを問題にして励む」⇒気分を問題にしている限り成長も発展もない。必要なのは気分や感情ではなく、現実的な成果を上げ得たかどうかということである。だから、感情は起こるにまかせ、現実の成果を問題にしてゆくのである。
ご紹介ありがとうございました。