森田療法と“関連性”を考えるコーナー

発見会の集団学習との関係性 

生活の発見会の運営システムは、とても合理的あるいは安全性に留意していると常々考えています。その生活の発見会の対象としているものが神経質性格や神経症であり、森田療法や森田理論を基本に組立てられていますが、昨今、その対象とする領域は、まるで街なかの八百屋さんが総合スーパーに転換し商品構成が大幅に膨らんだくらいに境界域は広範囲におよんでいます。

私はといえば、あまりに長い期間悩みが道連れだったため、自分が森田神経症であることを発見した時は、小躍りしたいくらいに嬉しかったのですが、それからもしばらくは書籍中心の知識の範囲内の関わりでした。

発見会に入会したのが昭和62年の夏でした。身近な大田集談会に毎月決まったように出席を始めたのが、平成元年の2月(昭和64年、昭和天皇崩御が1月)だったと思います。

当時の大田集談会は午前午後の時間があって午前中の行事が幹事会でした。男女10名前後の幹事や世話人が、前月と当月の進捗状況を話しあうのです。初回参加者も毎月多かったと記憶しています。入会間がない私も当然にその会議の俎上に載っていたに違いはありませんし、また、熱心なお誘いのハガキを毎月頂いていました。

当時のわたしは、まがりなりにも家庭や仕事があって日常生活は維持できていました。ところが内面の事情はといえば、荒天にさらされる北海の孤島のように、こころの持ちようは不安だらけで、気持ちの休まるところがありません。そんな心の葛藤は、できるものなら取ってしまいたい、無くなってほしい願望が常にありました。

わたし自信としては、普通に意識している自分と内面に症状をもっている自分の関係はパラレルな状態にあって、そのことが苦しみの源泉でした。

集談会に普通に出れるようになって、内面の自分自身を集談会の場でとりだすことが出来るようになりました。その自分と集談会のメンバーと交流を重ねた成果として、少しずつ心の平衡を取り戻すことも出来るようになりました。等身大のわたしと内面のわたしとの関係性、その内面のわたしと集談会に出席されたメンバーとの関係性、まるで車の車輪のような働きがあって、森田療法や森田理論のエンジン部分と駆動することで、回復にむかってのギアを入れられるようになりました。

ここから私と集談会の関係性が始まったことになります。今回この”関係性をテーマ”にして生活の発見会機関誌『生活の発見』5月号に掲載されたルポ報告を手直しして投稿します。

 

東京慈恵会医科大学市民公開講座セミナーに参加して

「森田療法の本当の意味」とはなんなのだろう

集談会の運営に朗報をもたらすセミナーの予感

自宅から会場である港区西新橋の東京慈恵会医科大学まで時間的には気にならない距離です。そのことが今回の参加につながりました。もちろん森田療法を生活の指針にしている者には、”森田療法のメッカの大学”でもあるという個人的思いがありましたし、テーマの「森田療法の本当の意味」にも引かれました。それ以上に、回復体験を持つ当事者としての生活の発見会からの参加があることに強い関心をもちました。また昨年12月から同大学第三病院精神科外来窓口に発見会の入会案内パンフレット等の設置が許可されたことも特別の親しみの背景にありました。

毎日新聞夕刊5面の「もよおし」欄の囲み記事(2017/1/19夕刊)をご覧になりましたか(複数回、メールでのお知らせもありました)。第1部構成は『NPO法人生活の発見会F氏の森田療法について、同会員M氏による「強迫症状の背景にあるもの」などの講演』(他にSさん)となっています。わたしは集談会を運営している現場担当者のひとりですが、ひとつのイメージが申込み前後から徐々に膨らんできました。まず「発表者の氏名が載っているぞ」「大学と対等ではないか」という感想です。ここで集談会活動の意味を再確認して、欲を言えば元気ももらいたいと思いました。

さらに森田療法理論を基本において活動をしている発見会と医療専門家の慈恵会医科大学精神医療講座とで、今回のテーマである「森田療法の本当の意味」を一緒にさぐる一種のライブではないかと考えたのです

これは今までになかった新機軸ではないでしょうか。また二つの組織のコラボレーションが今後もありえるなら、新たなモデル設計も可能になるのでは、とも考えました。

セミナー当日

立春の2月4日、編集企画会議のルポ担当も兼ねて早めに会場入りしました。定員150名のところ200名近い申込みがあったとのこと。この盛況は後ろの壁際と通路までも臨時の椅子がぎっしり並んでいることでもわかります。ノートパソコンとカメラを持参しましたが、動き回っての撮影はとても無理と判断しました。会場である大学1号館5階講堂は、白衣姿の大学関係者やあちこちで談笑している発見会の仲間も目につきます。一般参加者も随所に着席されています。定刻に同講座の伊藤達彦先生の司会で第1部の発見会の発表から始まりました。

第Ⅰ部 対人・関係性から解き明かす

Mさんは、反対観念が湧いてくる確認地獄にあって強迫行為は大変に不快ではあるが、いま強迫モードに入っていることを感じることで五感への信頼ができてきたこと、自我万能から自分の中の他者の存在、そして苦しい時こそ発見会の仲間との関係性で、「まかせる・ゆだねる」ことがわかってきたというお話しでした。印象に残った言葉としては“治療者はわたし” “自己との対話確認” ”自己内対話“ ”他者との対話による可能性“等があります。Mさんの回復を支えた大切なお言葉と受けとめました。

Sさんは、漠然とした不安感や気分の落ち込み、さらに不定愁訴から心療内科受診、休職にいたります。よくみせたい、嫌われたくない思いが強かったこと、それは幼少時の親の否定的言辞が背景にあったとのことです。

発見会入会後は、森田の基本を学ばれ、いやな感情を感じることは不安であっても自分の一部であること、集談会での体験交流の積み重ねと会議での発表の成果に、強い関係性を感じました。

Fさんが対人関係の苦手意識や劣等感に支配されていた時期は、他者との関係性を喪失していた時期でもありました。その孤独感や神経症の泥沼の世界から外界との関わりを作りえたのは、まさしく集談会の存在でした。

集談会での語らいがあったから、自分の内面との対話から徐々に外の世界との関係性につながったのですね。 編集者の目からの引用「犬の関係性ができてまったく別の犬になる」(2013.8月号市川光洋先生講演録)もさすがでした。

(第Ⅰ部感想)先生とは、自分より先に勉学し自分が教えを受ける先達を指す言葉です。3名の講演者はその体験を通じて、参加された一般市民の皆様にきっと感銘を伝えられたと思います。大学側作成の発表者のポスターの敬称は先生でした。

惜しむらくは、せっかくFさんが発見会設立から今に至るまでの歴史を話されましたので、一般市民の皆様にはプログラムの流れとして、最初の登壇者であった方が良かったかと思いました。

第Ⅱ部 学術講演

『「サイコドラマにおける不安と対人関係」』

サイコドラマは、増野肇先生(ルーテル学院大学名誉教授)の当意即妙な進行と柔らかな笑いに包まれたワークでした。発見会から参加された5名の皆さま、大変にお疲れさまでした。

集談会の体験交流に、このようなセッションは利用できないでしょうか。

『「引きこもり」にみる対人・関係性』

小野和哉准教授(東京慈恵会医科大学)の社会的ひきこもりのまとめです。

・現代のひきこもりは多様な要因による一つの対処的行動であり・時代の状況は、ひきこもりを増やしていること

・関係性へとらわれることでひきこもるという場合に森田療法的アプローチは有効にはたらき・森田療法で関係性の課題から離れ、各自にあった現実的生き方の処方ができること

・積極的ひきこもりの活用は、社会で生きる力を回復させてくれる

等、今後の森田療法の可能性に言及された講演でした。

(第Ⅱ部感想)引きこもりの高齢化が問題になっています。その自律の後退は、家族への経済的依存につながり、同様に親の高齢化が介護の必然性をはらんでいます。もたれ合い崩壊の顕在化は、緊急の今日的課題でしょう。小野先生、今後の発見会の明るい展望にご助言をお願いいたします。

第Ⅲ部 トークショー

『自律と連続の融合をめざして』

最後は同大学・中山和彦教授の司会で本日の発表者全員が加わったトークショーです。

自律と連続の融合に、森田療法はどういう意味を持っているのか、またその関係性とは何なのか。なかなかに難儀なテーマでした。まとまりの欠如はどうかお許しください。少しですが耳に留まったトークです。

小野先生「今の自己、今を生きている自分を肯定する」

Mさん「自己のなかでの対話から関係性を持った対話の中で効果があった」

増野先生「森田療法は集団療法か個人療法か、一般的には個人的療法である。差別感から平等観へは、関係性でとらえたほうが楽であり関係性の療法といえる」

定刻をすこし超過しましたが、今後もSNSで情報発信するとの中山先生のお言葉をもって、本日のセミナーは無事に終了しました。

ルポ担当者の全般的感想

心の健康セミナー等に権威のある高名な先生を招聘したときの集客効果はたしかにあるとして、その後の展開を考えたとき、それが発見会にとっての有効な手段になっているのでしょか。今回のようなセミナー開催は、地域を問わず展開は可能なのではと考えられます。集談会単独での心の健康セミナーを企画実施した経験を持っている者には大変に参考になりました。また大きな成果が得られたセミナーだったと思います。

今回主催の東京慈恵会医科大学精神医学講座の諸先生方、そして生活の発見会参加者の皆さま、ありがとうございました。心からの感謝を申し上げます。

ルポ担当者として立ったり座ったりと落着きがなく、後ろの席に迷惑をかけたと思っていました。そのことをお詫びしたところ意外にも意気投合し、新橋駅前での某所で好適貴重な時間を持つことが出来ました。まさに春宵一刻値千金、両手はおろか背中に背負いきれないほどのおみやげをいただいた、とても有意義なセミナーになりました。

末筆になりますが、後援団体のメンタルヘルス岡本記念財団および日本森田療法学会に、個人の立場ではありますが、同様の感謝を申し上げます。(管理人の独り言)