下丸子土曜集談会 全集5巻読書会資料 2017.06 -あるがままー
煩悩が大きいほど、その涅槃も大きく、学校も年限が長いほど、その卒業も立派であり、強迫観念が激しいほど、
その悟りも大きく解脱が大歓喜になる。富士登山が困難なほど、その頂上が嬉しいのである。
また疑惑のない悟りは、入学しなければ卒業がないと同様である。寒い時に着物を沢山に着て、
釣り合いのとれた時に安楽である。
欲望にそそのかされる、忙しい世の中にあれもこれも、ハラハラと四角四面に心の働いている時に、
心の調和がとれて、安楽解脱になるのである。単なる裸体で、なんの欲望もないのが安楽ではないのである。
佐藤君が私の著書を読んで、「あるがまま」という事にとらわれ、ますます苦悶を重ねたという事があるが、
それは自分で、「あるがまま」という事を工夫し詮索したからである。
「あるがまま」といわれるままにハハアなるほどと受け取さえすればよい。 (83頁下段)
「あるがまま」ということについて、さきほど、神山さんが、「とても恥ずかしいけれども
治りたい一心に、立ちます」といって、自分を投げ出したが、その立たない前には、心がハラハラして、
随分苦しかったであろうが、こう自分をそのままに打ち出した瞬間から、全く恥ずかしくなくなった。
これが「あるがまま」であり、恥ずかしさになりきった時の事であります。
今晩の「とても」は、神山さんの傑作であります。(129頁上段)