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イヤな感情と感情の法則 ―いやなことだらけを引き受ける―

 

元強迫観念と全般性不安障害の揚げ玉丼ぶりです。

 

森田療法の感情の法則に「感情はこれをそのままに放任し、もしくはその自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、一昇り一降りして、ついには消失するものである。」(はじめての森田療法 北西憲二先生 著)とあります。

 

私たちは、何かストレスやショックを受けると、不安になったり、怒ったり、カッーとなったり、感情の振れ幅が一瞬にして大きくなります。

 

そこで行動に移す、例えば馬鹿にされたから嫌がらせをし返す、不安を取り除こうとネットで乱雑に検索したり、友人や家族に自分の愚痴をこぼしたり、などすると、周りの人たちに対して迷惑をかけてしまったり、何より自分が混乱して訳が分からなくなり収拾がつかなくなります。

 

ではどうすればよいのかというと、前述のとおり、感情というのは、一度大きく振れますが、そのまま「嫌だ嫌だ」「不安だ不安だ」と、布団の中でもぞもぞとするように一人で煩悶に任せていれば、その内に収まっていくものです。

 

いつのまにか、私たちは気分は常に明朗でなければならない、明るく楽しく過ごさなければならない、という一種の価値観付けがされているように思えます。

 

しかし、そうやって「気分はいつもよくなければならない」というかくあるべしが強いと、「気分がよくない」という実際にある自分に対して強い拒否反応を示します。そうして、実際にある不快な気分を取り除くために躍起になり、神経症やネガティブな感情をかえって深めてしまうかもしれません。

 

と、ややこしく書かせていただきましたが、簡単に言いますと、「嫌な気分の時は嫌なものである」という話で、そんな時は身をかがめてやり過ごすことがかえって嫌な気分から抜け出すのが早いかもしれません。それが苦を自分が引き受けるということであるかもしれません。

 

それと感情を引き受けるにはもう一つの方法があります。

 

不安感や混乱状態でも少しやり過ごせたら、スッキリしない・悩みは悩みでありつつ何となく苦々しくても、その時その場で自分が出来ることをすることです。日常的な食事や入浴でも、生活の流れに無理やりでも、落ちた気分のままでも流れに乗る。

 

先程の「やり過ごす」が受動的な側面だとしたら「流れに乗る」が能動的な側面です。

 

その態度の形成は症状の中にある方にとっては大変なことかもしれませんが、そのプラスの実践によって症状や悪循環からの離脱や実際の生活の良い流れの循環が生じることと思われます。

 

私事ですが、中学生の頃、虫の解剖がいやでサボったりしていたのですが、あまりサボると教師から雷が落ちるので、オエッとしながら同級生や教師からからかわれたり怒られたりしながら嫌々やっていき、簡単ながらレポートを作れた時は「意外とやれるものだ」と驚いたことがあります。

 

嫌なことは嫌なことでしょうがないモノです。それを受動的・能動的側面から何とか受け入れながら、生活の一歩を進めていただけたら幸いです。