大田集談会では、当日の全参加者が全員参加のミニ体験発表をほぼ年間2回実施しています。

今回、「森田に助けられた私の体験」というテーマで行った時の発表(ペンネーム)をまとめてみました。

赤面恐怖に苦しんで   ツクツクボウシ

私は対人恐怖で特に女性の前で赤面する症状で長年苦しんできました。
新入社員の時に、デスクで向かい合って座った女性に対して赤面を感じ、50歳過ぎたころもまた若い女性と向かい合って座ることになり、赤面を感じて恥ずかしくて、いてもたってもいられなくなりました。
あるとき赤面を感じながらも、逃げてばかりではいけない。あるがまま、あるがままと心の中で唱えながら、赤面はそのままにして、今自分がやるべきこと、即ち書類の作成に心を集中して取り組みました。
すると今まで顔に上っていた血が下へ降りていくのが分かりました。赤面は消えて心が落ち着き、仕事に没頭することができました。長谷川洋三先生の「人は同時に二つの事は出来ない」(赤面と仕事の両立は出来ない)という言葉を身をもって実感しました。今でも、悩みや不安が襲ってきた時は、ともかく今やっている目の前のことに「集中」する。歯を食いしばって今やるべきことに心を「集中」することが、不安への対処法であると思っています。

背中を押してくれた森田   ゴマジロウ

パソコン教室が閉校になったので、英会話教室に行くことにして申込みましたが、どもりで未経験なので予期恐怖が強くなりました。苦痛でしたが目的本位を心がけました。発見誌に投稿したり、集談会に出て手伝ったり、パソコンで英会話の予習をしたり、恐怖突入して英会話のレッスンに出ました。人気美人講師のレッスンに出れたり、発音を誉められたり、少しずつ慣れました。生活に張りが出てきました。英会話を始めて良かったです。森田理論と生活の発見会が支えになりました。

森田と気づき   揚げ玉どんぶり

ある時期から、とある言葉が頭の中を流れるようになりました。私は流れていくのを認めることによって「何か破滅的に恐ろしいことが起きるのでは」と必死に流れるワードを微妙に頭の中で言い替えたり打ち消したりすることで必死になっていました。
誰にも相談できない日々か続く最中、ある日、自分のトイレを見るとひどく汚れていることに気づきました。森田療法の行動の法則のはじめが、『見つめ感じる』だったなと思いしばらく見ていると、そういえば行動の法則の次のステップは『手を出し動く』だったなと、とりあえず掃除を始めたところ思いのほか気持ちよく、久しぶりに気持ちが外に流れ始めました。
その後もその言葉は流れていましたが、仕事や家事に目を向けることにより気持ちは流れて行くことを少しだけ体得したことにより、症状はあるがままに今・ここ・自分に集中し、出来る事を出来る時にやる日々の生活を神経質に念入りに行うことにしました。
その言葉は今でもたまに流れますが、勝手に来て騒いで勝手に帰っていくだけのものだなぁと流れるままに、日々の仕事や生活に専心しています。

人前で話すのが苦手で   マーラー

人前での挨拶等で上がって震える。平常な状態を保てない自分が恥ずかしく、情けなくて自分を許せない。この症状さえ無ければ楽々と生きられるのにと、悩んでおりました日々、本屋で見た長谷川洋三先生の「森田式精神健康法」を読み、「あるがまま」臆病で小心者の自分を認める事によって心は次第に楽になって行きました。 その後、集談会で出席を重ね、役回りを引き受け始めて以降、それまで人前での挨拶を頼まれた時、当日が近づくにつれ体調不良を起こしていたのですが、これも無くなり、如何に自分が虚勢を張っていたかが分かりました。 森田で言う、「弱くなりきる」事で、心の負担が薄れたのです。しかし今でも人前で話すときは症状は出ますが、これが普通と思ってそれ程気にならなくなりました。
そして老年期に入り、色々な場で、色々な立場から発言する場面が これからもあるでしょう。この時程森田を学んでいて良かったと、感じると思います。

森田があってこそ今がある  bame

その最悪の状態にあった時に、自己崩壊の危険性から幸いにも支え続けてくれたのは森田でした。大失敗としか評価できない過去をも、とりあえずそっといじらずにいれたのも森田のおかげでした。同様に、発見会活動でつかみ得た手ごたえや充実感は、仕事と家庭にあっての支えそのものでした。
従いまして、森田に助けられたなどという生易しいものではなく、ただただ感謝し続けながら、今日にいたっております。
森田正馬先生に感謝、生活の発見会に感謝、素晴らしい仲間にめぐり会えた大田集談会に感謝、私の発見会活動に理解と応援をしてくれた家族に感謝、そんな思いでいっぱいです。